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若井小づえ・若井みどり
若井小づえ、若井みどりのコンビ。1965年にデビュー。若井はんじ・けんじの追っかけから入門。実力はあったが、地味だったため長く低迷期が続いた。デビュー15年ほどして衣装をシックにし、小づえは帽子を被った。その後は「嫁にもーてー」などで大ブレイク。1991年のみどりの結婚で解散状態に。小づえは1999年、死去。みどりはメグマリコと新小づえ・みどりで活動。
若井はんじ・けんじ
実の兄弟コンビ。1948年、荒川福児・笑児でデビュー。1957年の新花月のデビューから人気急上昇。デイト・ヤングを経て、若井はんじ・けんじと改名。テンポの早いやりとりで売り出し、「頭の先までピーコピコ」の流行語を生んだ。1976年、はんじが病死。けんじはファンに励まされて、1983年、東大阪市議初当選。1987年、落選し、芸能界に復帰した直後事故死。
若井ぼん・はやと
高校の同級生コンビ。1962年、若井はんじ・けんじに入門、デビュー。「しっつれーしました!」などのギャグで人気に。数々の漫才賞を受賞するなど活躍したが、1985年、解散。ぼんはジェームス・ボンとしてレゲエ歌手として活動のほか、「若井ぼん・ねっと」で活動。は漫談で活動。
若井りき・ゆうき
高校の同級生コンビ。「ザ・バッテリー」として「お笑いスター誕生」に出場、銀賞を獲得。プロになり、「若井りき・ゆうき」に改名。正統派のしゃべくり漫才で人気を集める。漫才番組を中心にバラエティ、情報番組のリポーターなどに活躍。
渡辺正行
明大落研から劇団テアトル・エコーに入団。1977年、コント赤信号を結成。道頓堀劇場でコント修業。漫才ブームで一躍人気グループとなる。その後タレントとして「笑っていいとも」「クイズ世界はSHOW
by ショーバイ!」「おはようクジラ」「爆笑大問題」などに出演。劇団七曜日座長。「La.mama新人コント大会」の司会を務める。コーラ一気飲みで有名。
笑い飯
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