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みうらじゅん
1980年、「ガロ」に「ウシの日」でデビュー。以後、ウシ、ハニワ、怪獣、アナクロをネタに作品を発表し、ウシブーム、ハニワブームを呼ぶ。コラムニスト、バンド「大島渚」のボーカルとして「カリフォルニアの青いバカ」を唄って人気を得る。仏像にも興味を持ち、いとうせいこうと大日本仏像連合を結成。思春期からの膨大なエロスクラップ収集でも有名。
見栄晴
子役で活躍。1982年、高1のとき「欽ちゃんのどこまでやるの!」の見栄晴役オーディションに合格。一時期、本名の藤本正則で活動していたが、見栄晴と呼ばれるのでそのまま芸名にした。出演作にドラマ「遠山の金さん」「さくら」「はぐれ刑事純情派」「大好き五つ子」、「DAISUKI」「生ダラ」「土曜スタジオパーク」などで役者、タレントとして活躍。
幹てつや
桂三枝の弟子。1993年、デビュー。歌ネタ漫談、1人コミックバンド、キーボード漫才、歌謡曲ツッコミなどで活躍。キーボードを弾きながら「♪ミキミキミ〜キ幹てつや」と歌うスタイルがウケ、「ボキャブラ天国」などに出演する。その後、NHK教育番組「サイエンス・ゴーゴー」のレギュラーなど。FM横浜「インターナショナルDJコンテスト」で9位入賞。
三木のり平
日大芸術学科時代に学生演劇。卒業後、三木鶏郎グループの一員となり、ラジオ「日曜娯楽版」などに出演。青山杉作研究所、俳優座を経て、1956年から東宝で「のり平の三等亭主」「次郎長意外伝」シリーズ「社長」シリーズ「駅前」シリーズ。その後も軽妙、自在な演技で映画、テレビ、舞台で活躍。演出家としても活躍。桃屋のCMでも親しまれた。1999年、死去。
水玉れっぷう隊
ケン(松谷賢示)アキ(荒木良明)のコンビ。ショーパブで知り合い、1992年にコンビ結成。ケンは元自衛隊員。アキは元スタントマン。体のよさを生かしたコント、漫才とルックスのよさで大阪でアイドル的人気。東京進出後は行き詰まり、アキは新喜劇に出演、ケンは舞台、ドラマに出演など個々の活動も。ショーパブ時代の後輩「$10」と「ギアトランス4」を結成。
Mr.オクレ
1973年、デビュー。コミックバンド「ザ・クエスチョン」のベーシストから「バンチャーズ」のベーシストに。他のメンバーからワンテンポおくれるところから「Mr.オクレ」となる。ガリガリに眼鏡に七三分けという風貌で貧乏ネタが持ちネタ。暇なタレントで有名で明石家さんまによると一年間で300日休んだらしい。「オレたちひょうきん族」では前田政次、村上ショージと「何人トリオ」で活躍。NHK朝の連ドラ「やんちゃくれ」に出演。
Mr.ボールド
ボールドはハゲの意。つるつる頭で口髭、タキシード姿で一輪車曲芸を見せる。淡々とした独特の口調で観客を巻き込む。観客にリンゴや投げ輪を投げてもらい、キャッチする。花つきのダーツを頭に受ける。観客が変なところに投げると「どんくさい」「感情的になるで」と悪態をつく。かつては一輪車芸でラスベガスなど世界中で公演を行っていた。
ミスワカナ・玉松一郎
戦前戦中の名コンビ。二代目河内家芳春門下だったミスワカナとチェロ奏者だった玉松一郎の夫婦コンビ。ワカナは抜群の記憶力と独創性、歌唱力、饒舌、方言ギャグと天性の芸人。玉松は「うなづき相方」に徹した。ワカナは1946年、薬漬けになり死去。玉松は二代目ワカナ(ミヤコ蝶々)、三代目ワカナ(河村節子)とコンビを組む。1963年、死去。
未知やすえ
1979年に吉本興業入り。未知やすえ・やすよとして漫才ブームで活躍。その後、コンビを解消し、吉本新喜劇に入団。「なめっとったら頭スコーンとかち割って脳みそにストロー挿してチューチュー吸うたろか!……男の人ってコワイ」などのギャグで三枚目女優として活躍。マドンナ役も務めるようになる。バラエティ番組にも出演。1994年、内場勝則と結婚。
光浦靖子
幼馴染の大久保佳代子とオアシズでデビュー。その後、ブサイクさと独特の訛りのキャラクターでソロタレントとしても活躍。「とぶくすり」「めちゃ2モテたい」「めちゃ2イケてるッ」などで人気に。またドラマ「ナースのお仕事」やVシネマ「フラット・アウト・ベイビー」つかこうへいの舞台「広島に原爆を落とす日」で役者にも挑戦。オアシズも再開。
南けんじ
戦争中慰問隊で様々な芸を覚え、1945年、人見明らとコミックバンド「スイング・ボーイズ」を結成、デビュー。その後歌謡漫才を経て、1974年から漫談家として活躍。下積み時代のビートたけしの面倒を見た。著書に「ビートたけしのへその緒」 1991年、大腸ガンの手術を受けるも、肺に転移、治療を続け、ガンもネタにして高座を務めたが、1997年、死去。
三波伸介
多数の劇団を経て、1957年、新宿フランス座に入り、コメディアンとして活躍。1962年、戸塚睦夫、伊東四朗と「てんぷくトリオ」を結成し、「九ちゃん!」などに出演。「びっくりしたな、もう」は流行語に。日本テレビ「笑点」の司会や「てんぷく笑劇場」「減点ファミリー」で人気。役者としても「どですかでん」「ダメおやじ」などに出演。1982年、死去。
宮川左近ショウ
宮川左近、暁照夫、松島和夫の3人の浪曲師が結成した歌謡漫才トリオ。宮川左近は浪曲の名跡で四代目。「♪毎度皆様お馴染みの〜」のテーマソングで始まる浪曲のストーリーに軽妙なやりとりを交えた独特の芸風で人気を集めた。1986年、宮川左近が死去し、解散。暁照夫は弟子と暁照夫・光夫で三味線漫才で活動。
宮川大助・花子
大助はサラリーマンを辞めて、宮川左近に入門し、松竹芸能で漫才師としてデビュー。婦警を経て、「チャンバラトリオ」に入門。1975年で知り合い、結婚。1979年、夫婦漫才師として吉本興業からデビュー。どつき漫才をしていたが、どもる夫と早口の妻というスタイルに変更。明るい夫婦ネタがうけて人気者に。大助は「新・天までとどけ」に出演。花子はタレント活動も。
三宅裕司
明大落研出身。コメディアンを目指して日本テレビタレント学院に入学。劇団を転々とし、1979年、劇団SETを結成、注目される。1983年、ニッポン放送「三宅裕司のヤングパラダイス」のDJで注目を集め、「タモリ倶楽部」に出演するなど人気に。以降、「いかすバンド天国」「テレビ探偵団」「The
夜もヒッパレ」「どっちの料理ショー」の司会や役者として活躍。
ミヤコ蝶々
1927年、父が芝居一座を旗揚げ、娘座長として7歳で漫才師に。1944年に三遊亭柳枝と結婚するが翌年離婚。1947年、弟子の南都雄二と再婚し、コンビに。「漫才学校」「夫婦善哉」などで人気を博す。南都とは1958年離婚、コンビは継続。南都の死後は大阪の味を出せる女優として舞台、テレビ、映画で活躍。舞台では脚本、演出、主演をこなした。2000年、死去。
都家文雄
ぼやき漫才の創始者。元々は三遊亭円若門下の落語家桂歌治。昭和初期からの落語人気凋落で漫才へ転業。都家美智代と相方を組んだ。漫才転業組の多くが落伍していった時代に創り出したのが「ぼやき漫才」 後に相方は都家静代、芦乃家雁玉、荒川歌江と代わるが、鋭い風刺は高い人気を得る。関西演芸協会会長を長く務める。人生幸朗・生恵幸子の師匠。1971年、死去。
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