| 小梅太夫(アマゾネース)
コージー冨田
素人ものまね番組からプロに。主な持ちネタは笑福亭鶴瓶、桂歌丸、石橋貴明、島田紳助、タモリなど多数。コージー冨田がタモリを、原口あきまさが明石家さんまのものまねをやるコンビで大ブレイク。声だけでなく、しゃべり方や仕草までをほぼ完全にコピーする能力が評価され、多くのバラエティ番組に呼ばれる。実は歌ネタも上手い。
GO・JO
阪田マサノブ、吉見幸洋のコンビ。阪田は、現在「劇団PUCHI-KEKA」主催の前田真ノ輔とのコンビ「Z-BEAM」を1992年に解散。その後、ひとつコンビを挟んで、1996年、「GO・JO」を結成。シュールで演劇風なコントを展開する。阪田は映画「模倣犯」に出演。
極楽とんぼ
加藤浩次と山本圭壱のコンビ。東京ヴォードビルショーを逃げ出した後、東京吉本に入る。1988年に結成。ココリコ、ロンドンブーツとともに演芸ではなく、テレビで活躍。「めちゃ2イケてる」レギュラーをはじめ主にバラエティで活躍。その後、二人ともドラマ出演など、マルチな活躍。加藤は元サッカー北海道代表で「スーパーサッカー」の司会も務める。
ココリコ
遠藤章造と田中直樹の同級生コンビ。1992年、結成。長く低迷したが、ダウンタウンと共演することによってブレイク。深夜番組で成功し、ゴールデンに冠番組を持つまでになる。極楽とんぼ、ロンドンブーツ1号2号とともに地位を固めつつある。「ガキの使いやあらへんで」「ココリコ黄金伝説」「フジリコ」「ココリコミラクルタイプ」などに出演。遠藤は千秋と結婚。
古今亭今輔(五代目)
大正、昭和期と新作落語を中心を得意とした噺家。1914年、初代三遊亭円右に入門、1931年桂小文治一門に入り、桂米丸を襲名。1941年、古今亭今輔を襲名。「老稚園」「くず湯」「受話器」などの新作落語を得意とし、特に「お婆さんもの」で人気を得た。1974年からは落語芸術協会の会長を務めた。1976年、死去。
古今亭志ん駒(二代目)
7年間の海上自衛隊勤務を経て、1963年、古今亭志ん生に入門。「末広演芸会」の大喜利「お笑い七福神」で活躍。1976年、真打昇進。ハンナ・バーベラのアニメ「ドラドラ仔猫とチャカチャカ娘」のチョロ役の吹き替えを担当。
古今亭志ん生(五代目)
昭和の名人。金原亭馬生、古今亭志ん朝の父。1939年、15回目の改名で志ん生を襲名。極貧生活を続けながら、軽妙な語り口独自のスタイルを確立。高座で居眠りをしたエピソードは有名。1957年から1963年まで落語協会会長。1961年、脳溢血で倒れるも、奇跡的に復活。1968年以降は高座に上がらなかった。1973年、死去。
古今亭志ん朝(二代目)
父が古今亭志ん生、兄が金原亭馬生という落語一家の生まれ。1957年、志ん生門下に入る。1962年、真打昇進で志ん朝を襲名。バラエティ番組の司会やドラマなどテレビにも登場したが、本業に専念。スピード感のある語り口、清潔で気品ある芸風で江戸落語の旗手となる。2001年、死去。
古今亭志ん馬(七代目)
古今亭志ん生の弟子。1952年、前座。1966年、真打昇進し、古今亭志ん馬を襲名。師匠譲りの滑稽話を得意とする。「お昼のワイドショー」のキャスター、2代目いじわるばあさんとしても有名。晩年は高座で活躍していたが、1994年、死去。
小堺一機
「ぎんざNOW」素人コメディアン道場チャンピオン。田村正和、おすぎとピーコ、田中邦衛のものまねが得意。「ザ・トップテン」のリポーターとして一般に浸透し、「欽ちゃんのどこまでやるの」の黒子役で人気者に。「いただきます」のメイン司会としておなじみ。「小堺クンのおすましでSHOW」を毎年公演している。
木の葉のこ
「うわさのチャンネル」で「ワシじゃ」などのフレーズとかわいらしいルックスで一躍人気者になった。バラドルの先駆け。その後もテレビ、ラジオ、映画、舞台などで活躍。
小松政夫
「シャボン玉ホリデー」に出演、「どーして、どーしてなの、おせーて」「知らない、知らない」「ニンドスハッカッカ……」などのギャグで人気に。伊東四朗とのコンビで「小松の親分さん」「親子コント」などがヒット。「しらけ鳥音頭」「タコフン音頭」などの曲がヒット。ドラマ、舞台での活躍。コミカルな役からシリアスな役までオールマイティーにこなす。
コメディNo.1
1967年結成の前田五郎と坂田利夫の漫才コンビ。「コメワン」の略称で、やすし・きよしと共に関西の漫才界をリードした。ドケチの前田とアホの坂田のキャラクターを織り交ぜながらの漫才。前田五郎は漫才のほか芝居に出演し、坂田利夫はそのキャラを生かして、バラエティ番組に出演している。
小柳トム
「お笑いスター誕生!!」で警官コントで10週勝ち抜きチャンピオンとなる。警官コントが徐々に飽きられていったことと、ソウル音楽に興味を持っていたことから、飲み友達だったブラザー・コーンと「バブルガム・ブラザーズ」を結成。ブラザー・トムと改名し、アーティストに転向。活動停止後はTOMと改名し、音楽活動のほかバラエティ番組やドラマで活動。
小籔千豊
NSC12期生。1993年、ビリジアンとしてデビュー。ユニット「フルーツ大統領」にも参加。2001年に解散。その後、吉本新喜劇に入団。「おれはなあ、今まで大概の悪いことはしてきたんや! 殺人、銀行強盗、放火、詐欺、窃盗、婦女暴行…以外のことはみなしてきたんや!」のギャグでチンピラ役で定着。その他、山田洋次監督作品に多数出演。
コロッケ
ものまね界のスーパースター。元ものまね四天王。最大限にデフォルメした顔マネやフリマネで異彩を放つ。似せることよりも笑わせることに重点を置く。「お笑いスター誕生!!」で顔マネ百面相で人気を得る。「ものまね王座決定戦」に出場し「ものまね四天王」と呼ばれる。「ものばねバトル」では、単なるものまねだけでなく、ロボット芸、VTR芸などを披露。
コロムビアトップ・ライト
社会風刺や政治批判をネタにした漫才で一世を風靡。漫才の他に歌謡ショーの司会、大晦日「にっぽんの歌」の司会も担当。1972年、トップが参院選当選でコンビ解散。後に一度再結成したが、ライトが食道ガンで声帯を切除し、解散。トップは漫才協団の顧問として後進の指導にあたっている。ライトはリハビリをしながら、地方で漫談などの活動をしている。
近藤伸明
あのねのね清水国明の弟子。清水アキラ、所もどきと共にコントをやっていた。1984年、飲み友達だった小柳トムと音楽面で意気投合、「バブルガム・ブラザーズ」を結成。ブラザー・コーンと改名し、アーティストに転向。活動停止後は「Korn」と改名し、音楽活動を続ける傍ら、タレント活動も行っている。
コント赤信号
渡辺正行をリーダーとするラサール石井、小宮孝泰のトリオ。目の回りにラメをつけ、福助の足袋を履いたリーダーが登場する暴走族コントで、漫才ブームに乗った。「オレたちひょうきん族」にレギュラー出演していたが、徐々にソロ活動が目立つようになる。「七曜日」の舞台以外で3人が顔を合わせることはほとんどない。
コント55号
萩本欽一と坂上二郎の演芸場出身コンビ。コントをテレビに定着させた。泥臭さ、庶民的感覚が大衆に支持された。萩本が坂上をいじり回し、厳しいツッコミとちぐはぐな反応で笑いを量産した。十数本のレギュラーを持っていたが、年齢と新ネタ志向の限界から苦しくなってくる。また個別活動が増え、1976年の「なんでそうなるの」を最後に活動停止。
コントD51
1971年、朝丘雪路・津川雅彦夫妻の内弟子、香川けんじが弟の香川まさしと、1976年に結成。シチュエーションと話芸で笑わす正統派コントコンビ。「ザ・テレビ演芸」でチャンピオンになるなど実力を発揮。「半農半芸」の芸人として有名。
コント100連発
水島びんと轟二郎のコンビ。所ジョージ司会の「ドバドバ大爆弾」で結成された。「お笑いスター誕生」に登場、銀賞を獲得。アクティブなアクションと大げさなリアクションを全面に押し出した力技のコントが特徴。轟が本名の三浦康一で「びっくり日本新記録」の挑戦者としてレギュラーになり、解散。
コント山口君と竹田君
新宿ミュージック劇場で結成されたコンビ。周りがやめていき、最後に残った二人がコンビを結成した。 「お笑いスター誕生!!」サバイバルシリーズに出場し、前人未到のl00点満点を2週連続で獲得、初出場優勝という快挙を遂げる。社会派コントを中心とした笑いを展開する一方で、山口は若手の発掘、指導、竹田は旅番組に出演するなど個々でも活動している。
コント・レオナルド
レオナルド熊が石倉三郎とのコンビを解消した後に組んだコンビ。結局、石倉と和解し、バラエティ番組を持つまでに大ブレイク。レオナルド熊が勝手に別人と営業をとっていたことが発覚し、石倉がコンビを解消。レオナルド熊はバラエティ番組などに出演。石倉三郎はたけし絡みのバラエティに出ていたが、それ以降はドラマや映画など役者業に専念。
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