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怪物ランド

平光琢也、郷田ほづみ、赤星昇一郎のトリオ。1982年、結成。「お笑いスター誕生!!」でチャンピオンとなる。深夜番組「ウソップランド」がヒット。スタジオコント、外ロケコント、番組の中で業界用語を使ったりと活躍した。ドラマ、映画、音楽と3人個々に活躍中。

 

快楽亭ブラック(一代目)

1865年、オーストラリアから来日、横浜に住む。父親は「ジャパン・ヘラルド」を発刊したジャーナリスト。落語や講談に興味を持ち、1879年、初演。初代三遊亭円朝に入門。西洋小説の翻案物の噺で名をあげ、真打昇進。達者な江戸っ子口調で演じ、師匠にも並ぶ人気者に。しかし、やがて飽きられた。1903年、落語、浪曲で日本最初のレコードを制作。1923年、死去。

 

快楽亭ブラック(二代目)

父はアメリカ人、母は日本人のハーフ。1969年、立川談志に入門。一時、桂三枝門下に移るが、談志門下に戻る。改名を繰り返し、志ん生の記録を破る。1992年。真打昇進で快楽亭ブラックを襲名。風俗リポーターや風俗小説の執筆、コラムの執筆などマニアックな有名人。映画好きで特に邦画に造詣が深く、映画関係の仕事も多くこなす。

 

COWCOW

多田健二、山田與志のNSC12期生コンビ。1993年、コンビ結成。「宝島軍団」として梅田花月で活躍。1995年、ユニット「フルーツ大統領」を結成、活躍するも失速。その後は「baseよしもと」を中心に漫才では「襟4つ」などのツカミギャグと多田のキャラクターで人気を得る。2001年、東京に進出。「ジャングルTV」などに出演。

 

香川登志緒

喜劇作家。お笑い番組から漫才の台本まで多数の脚本を手がけた。「てなもんや三度笠」の脚本を担当したことで有名。上方お笑い界に多大な貢献のある功労者。著書に「てなもんや交友録」「私説おおさか芸能史」「大阪の笑芸人 」など。1994年、死去。

 

かしまし娘

正司歌江、照枝、花江の三姉妹による歌謡漫才。「♪うちら陽気なかしまし娘……」で始まる陽気な漫才。1981年の照枝の松竹新喜劇入りを機にトリオを解散し、それぞれ舞台役者の道を歩む。トリオ漫才はやらないが、芝居で共演することがしばしばある。

 

春日三球・照代

リーガル千太・万吉の弟子。相方に先立たれた三球が妻の照代とコンビを組む。日常的な素朴な疑問を漫才のネタに取り入れる。「地下鉄の電車はどこから入れるのか。それ考えると一晩中眠れなくなっちゃう」で有名な地下鉄漫才で一躍大ブレイクする。1987年、寄席出演中に照代が倒れ、死去。以後、三球は引退し、巣鴨で洋服店を開いている。

 

片岡鶴太郎

素人寄席で師匠の片岡鶴八に認められ、高校卒業後、弟子入り。ものまねで売り出し、「オレたちひょうきん族」でブレイク。その後「笑っていいとも」などに出演。「プッツン」「アブナイ」「イッちゃってます」などの流行語を生み出した。映画出演を機に俳優に転向。プロボクサーや画家などマルチな活動を見せている。

 

片岡鶴八

声帯模写。動物から映画スターまでものまねの幅は広い。片岡鶴太郎の師匠としても知られている。病気で倒れてからは第一線を退いている。

 

ガダルカナル・タカ

たけし軍団のリーダー格。つまみ枝豆とカージナルスで「お笑いスター誕生!!」に出場。その後ツーツーレロレロらと「たけし軍団」を旗揚げ。たけし絡みの仕事をこなしつつ、タレントとしてリポーター、司会業などを中心に活躍。ドラマやVシネマにも出演。九州の地方局アナウンサーであった橋本志穂と結婚。

 

勝俣州和

劇団一世風靡に所属。1987年、「あぶない刑事」でテレビ初出演。アイドルグループ「CHA-CHA」を結成。解散後、ソロとして活動。堀部圭亮とコントグループK2を結成。「笑っていいとも」「とんねるずの生でダラダラいかせて!」「アッコにおまかせ」「ウッチャンナンチャンのウリナリ!!」「虎ノ門」などに出演。「シャー」など元気が売り物。

 

かつみ・さゆり

「どんきほ〜て」を解散した太平かつみが元タレントで妻の尾崎小百合と組んだコンビ。1999年、結成。漫才はさゆりの経験不足もあり、イマイチだったが、小百合の天然ボケと髪飾りを使った「ボヨヨ〜ン」でタレントとして売れっ子に。「せやねん」での不動産リポートなどで活躍。関西を中心に多数の番組に出演。

 

桂歌丸

「笑点」の「大喜利」で、社会風刺や皮肉った答え、うまい答えを披露する落語家。古今亭今輔に入門。師匠の死後、桂米丸門下に移る。定期的に古典落語の独演会を行っている硬派な落語家。艶っぽい女性の仕草の表現に秀でている。コージー冨田がよくものまねをする。

 

桂きん枝

桂文枝の弟子。「ヤングOH!OH!」で「ザ・パンダ」として大喜利コントや体操コント等で人気者となる。落語家よりもタレントとしての活動が主。師匠に破門されたり、不祥事を起こすなど多難な芸人人生を送る。現在は関西でテレビ番組や高座で活躍中。

 

桂小枝

1974年、桂文枝に弟子入り。粘っこい口調のリポーターとして定着。アクが強く、好き嫌いが分かれる芸風。「〜にもほどがある」「しかし、まぁなんですなぁ」などのフレーズが有名。「探偵ナイトスクープ」出演により、知名度が上がり、関西ではメインの番組を持つほどの人気。「桐灰」のCMが有名。「週刊えみぃSHOW」「素敵なダーリン」などに出演。

 

桂小金治

桂小文治の弟子。「アフタヌーンショー」の司会では凶悪事件に怒りを露にして「怒りの小金治」として好評を得た。「それは秘密です」では、独特の語り口で当事者、出演者、視聴者を泣かせた。俳優としてドラマにも出演。また自身を「げんこつおやじ」と称し、公式ホームページも開設している。

 

桂才賀(七代目)

二ツ目の古今亭朝次のときに笑点レギュラーに抜擢。いかつい顔で司会の三波伸介から「極悪人」「ムショ暮らし」などといじられ、笑いをとった。司会が三遊亭円楽に変わってから1985年、真打に昇進、桂才賀を襲名。笑点降板後は高座を中心に活動。刑務所や老人ホームの慰問などボランティア活動にも熱心。

 

桂ざこば(二代目)

桂米朝の弟子。桂朝丸時代に「ウイークエンダー」のリポーターとして好評を博す。動物いじめで有名に。以降は落語に本腰を入れ、二代目桂ざこばを襲名する。現在は高座のほか、「痛快エブリデイ」「ちちんぷいぷい」「昼あがり!どまんなか」「たかじん胸いっぱい」「大阪ほんわかテレビ」など関西のバラエティ番組に出演している。

 

桂三枝

関西大学在学中から学生落語家として活躍し、1966年、5代目桂文枝(当時は 桂小文枝)に入門。わずか10カ月後には、毎日放送ラジオ「ヤングタウン」に 抜擢されるなど、人気落語家に。テレビ番組「ヤングOH!OH!」の司会役で全国的に人気を集め、人気は全国区に。「オヨヨ」「グッ」「いらっしゃーい」などの流行語を生み出す。現在も司会を務める「新婚さんいらっしゃい!」は超長寿番組。「クイズ!年の差なんて」「愛ラブ!爆笑クリニック」の司会などで全国的人気を維持しながらも、創作落語に力を入れ、「ゴルフ夜明け前」は映画化されるほどの傑作で1984年に芸術祭大賞を受賞。2000年から毎月3席の新作落語を発表する「創作落語125撰」を続け、2003年、「創作落語125撰ファイナル」で2度目の芸術祭大賞を受賞。2003年、上方落語協会会長にも就任。名実ともに上方落語界を代表する落語家。

 

桂枝雀(二代目)

桂米朝の弟子。「爆笑王」の異名をとった上方落語のスター。古典から新作まで幅広くこなし、ドラマや映画、舞台への出演も多い多才。趣味の英語を生かした英語落語の海外公演で好評を博した。練習熱心な完璧主義者で意外に理論派。繊細な神経が災いしてか、鬱病になり、1999年、自殺を図り、心不全で死去。上方落語界は巨星を失った。

 

桂雀々

小学生時代よりテレビの視聴者参加番組の常連。1977年の桂枝雀に入門。以後、米朝一門会、枝雀独演会、枝雀一門会に出演。その後「桂雀々独演会」「雀々・落語のひろば」を開催するほか、河内長野「ノバティ寄席」の世話人も務める。多数の賞を受賞。「痛快!エブリデイ」など数々のテレビやラジオにレポーターなどで出演。

 

桂高丸・菊丸

桂米丸の弟子。落語家でありながら漫才をする。CMに出演するなど人気を得た。噺家でありながら落語をせずに漫才をするとはけしからんと落語協会から追放され、コンビ解消。現在兄の高丸は日高はじめの名で演芸作家、弟の菊丸はワイドショーのリポーターとして活動。菊丸夫人は元祖セクシータレントの泉アキ。

 

桂南光(三代目)

桂枝雀の一番弟子。桂べかこから1993年、桂南光を襲名。ラジオ、テレビのリポーター、司会でも活躍。「痛快!エブリデイ」の司会などで主婦層の認知度は高い。「大阪ほんわかテレビ」などに出演。大阪サンケイホ−ル(1400人収容)で独演会を開催するなど、本業にも力を入れている。上方落語界の王道を歩む噺家。

 

桂春団治(初代)

「♪芸のためなら女房も泣かす」で知られている「浪花恋しぐれ」のモデルとなった噺家。明治から大正にかけて活躍。型破りで自由奔放な人物で伝統やしきたりを無視することもあり、噺家たちや落語通からは非難されたが、楽しませる芸人として大衆の圧倒的な支持を得た。1934年、死去。

 

桂春団治(三代目)

桂米朝、桂文枝、笑福亭松鶴と並び上方落語界の四天王。初代春団治のイメージとはおよそかけ離れた、スマートで上品な噺家。二代目桂春団治は実父。落語だけでなく、踊りの腕も逸品で山村流、藤間流の名手。洗練された芸風の中に色気を感じさせる粋な噺家。

 

桂文枝(五代目)

桂米朝、桂春団治、笑福亭松鶴と並び上方落語界の四天王。先代桂文枝に入門、若手時代から落語だけではなく、踊りや鳴り物の修行をし、ハメモノいりの噺を得意とする。「立ち切れ線香」「船弁慶」など女性の活躍する噺への評価も高い。弟子に桂三枝、桂文珍など。1984年に上方落語協会の会長に就任。1992年、五代目桂文枝を襲名。上方漫才界の重鎮。2005年3月12日、死去。

 

桂文治(十代目)

桂小文治の弟子。1958年、桂伸治で真打昇進。粗忽者の噺や長屋噺を得意とする、江戸の噺家らしい噺家である。主に上野鈴本や新宿末広亭で活躍している。1979年に十代目桂文治を襲名、桂の宗家となる。1999年には落語芸術協会会長に就任。江戸落語の重鎮。

 

桂文珍

桂文枝の弟子。「ヤングOH!OH!」で「ザ・パンダ」を結成、大喜利コントや体操コント等で人気者となる。創作落語を中心に、パソコンやシンセサイザーを使った実験的落語にも挑戦する。関西大学の特別講師として教壇に立ったり、報道番組の司会もこなしたりと文化人として扱われることが多い。

 

桂文福

桂文枝の弟子。相撲や自伝をもとにした新作落語が得意。河内音頭が得意で、河内家菊水丸が登場するまでは「河内音頭」といえば文福だった。テレビにも出演するなど活躍していたが、吉本興業をやめてからはテレビ出演は少なくなり、全国市町村で「ふるさと寄席」を展開し、地道に活動している。

 

桂文楽(八代目)

戦前戦後にかけて活躍した江戸落語の名人。翁家馬之助の名で真打となり、1934年に八代目文楽を襲名。納得するまで徹底的に噺を練り、磨き上げ、芸として完成しないうちは絶対高座にかけないという誇り高い噺家。落語協会の会長を務めた。1971年、高座で噺をど忘れしたことを恥じて、そのまま引退し、同年死去。

 

桂文楽(九代目)

八代目文楽の弟子。前名の桂小益でテレビ、ラジオで活躍。ペヤングソース焼きそばのCMで「顔は四角でも味はまろやか」のフレーズで親しまれた噺家。1973年に真打に昇進。1992年、文楽を襲名。落語界一のゴルフの腕を誇り、番組も持っていた。

 

桂米朝(三代目)

上方落語の重鎮。大東文化学院中退後、四代目桂米団治に入門。数多くの噺を復活させ、全国各地で独演会を開き、衰退していた上方落語を盛り上げた。「上方落語ノート」「米朝落語全集」「米朝上方落語選」などの著書は落語の教科書となっている。上品なルックスと確かな知性で格調高い高座を見せる。1996年、落語界で二人目の「人間国宝」となった。

 

桂三木助(三代目)

戦後、大喜利形式のラジオ番組「とんち教室」に抜擢されて知名度を上げ、1950年、桂三木助を襲名。古典落語に精進を重ね、繊細で緻密な芸で高い評価を得た。「芝浜」が有名。四代目は実の息子。1961年、死去。

 

桂三木助(四代目)

三代目は実父。1977年、柳家小さんに入門。バラエティ番組に出演したり、入門後わずか8年目で真打になったり、桂三木助を襲名するなど異例の大出世を果たした。落語界のホープと期待されたが、私生活では結婚後4ヶ月で離婚し、イメージダウン、失速した。2001年に自殺。

 

桂米丸(四代目)

古今亭今輔の弟子。前座を飛び越し、二ツ目として高座に上ったのは有名。三年後の1949年には異例の抜擢を受け、師匠の前名、桂米丸を襲名して真打に。庶民生活を題材にした新作落語を得意とする。1976年から23年、落語芸術協会の会長を務めた。「お笑いスター誕生!!」のレギュラー審査員。桂歌丸、ヨネスケなど第一線で活躍する弟子を育てた。

 

加藤茶

ドリフの加トちゃん。「8時だョ!全員集合」では「ちょっとだけよ」「ウンコチンチン」などの流行語を生み出し、絶大な人気を得る。ドリフでの活動終了後は、志村けんと組み、番組を持つ。その後はお笑いだけでなく、ドラマにも多数出演し、活動の場を広げている。また原点に返り、仲本工事、高木ブーと「こぶ茶バンド」を結成し、活動。

 

上岡龍太郎

横山パンチとして漫画トリオに参加、爆発的な人気を博すが、横山ノックの政界入りを機に解散し、上岡龍太郎と改名。理路騒然とした流暢な話術で「ノックは無用」「上岡・鶴瓶パペポ」「ときめきタイムリー」「探偵ナイトスクープ」「EXテレビ大阪」の司会を務め、東京進出にも成功、活躍するが、2000年、プロゴルファーになると宣言し、芸能活動を引退。

 

上方柳次・柳太

三遊亭柳枝劇団の舞台役者だった二人が1957年にコンビ結成。派手さはないが安定した人気、実力を誇り、寄席、テレビで活躍した。1979年に柳太が病没し、柳次は若井けんじとコンビを組むが、両方ともツッコミだったため解消。1981年からは上方柳次・一枝の夫婦漫才で1998年に柳次が亡くなるまで活動した。

 

上方よしお

上方柳次・柳太の弟子。島田洋七と1972年、B&Bを結成。テンポの速い漫才で人気を得た。洋七が東京進出を持ちかけたが、よしおが拒否し、1974年にコンビ解消。ちょうどコンビ別れしていた西川のりおとコンビを組み、西川のりお・上方よしおで再出発。漫才ブームに乗り、売れっ子となる。ブーム後、コンビは解散していたが、1994年に再結成。

 

雷門助六(八代目)

戦前から戦後の雷門五郎時代には軽演劇の座長として浅草や大阪で公演を行っていた。1956年に寄席に復帰し、1962年に雷門助六を襲名。幼少頃から鍛えた踊りをいかして、マリオネットのように振る舞う「あやつり」や、お座敷芸「カッポレ」を高座で披露し、好評を博した。

 

上沼恵美子

海原千里・万理の千里。関西テレビの社員と結婚し、一度は引退。その後、本名の上沼恵美子で土井勝のアシスタントとして芸能界復帰。大阪を中心にラジオ、テレビで活躍。特に主婦層から強力な支持を受けている。歌が上手く、「大阪ラプソディー」などのヒット曲を持ち、コンサートも開く。1994年、1995年と2年連続NHK紅白歌合戦の司会を担当した。

 

嘉門達夫

笑福亭鶴光に弟子入りするが、大遅刻して、破門された。その後、コミックソング歌手となり、桑田佳祐に嘉門達夫の名をもらう。「ヤンキーの兄ちゃんの歌」「ゆけ!行け!!川口浩」「小市民」などヒット曲を飛ばした。「替え歌メドレー」が大ヒット、NHK紅白歌合戦にまで出場する。「探偵ナイトスクープ」のリポーターとしても活躍。

 

カリカ

家城啓之、林克治のコンビ。1997年、結成。 眉毛がなく、異様な雰囲気を持つボケの家城とスーツ姿できっちりとした風貌のツッコミの林のコンビ。設定からシュールで展開もシュールというシュールなコントでルミネtheよしもとで異彩を放つ。ツッコミの林は、芸人を辞め、タクシードライバーをやっていたこともある。家城は一時作家として活動していたことも。「新しい波8」などに出演。

 

ガレッジセール

川田広樹とゴリの沖縄出身コンビ。1995年、結成。ダンスで培ったリズム感と南国パワーを売りにした勢いある笑いで人気を得る。「news」の一員。「笑っていいとも」のレギュラーを始め、多数の番組に出演。NHK朝の連ドラ「ちゅらさん」に出演、一気に知名度を上げた。「ワンナイR&R」などに出演。

 

河内家菊水丸

時代背景や社会情勢を風刺した新聞詠み河内音頭が注目を集める。リクルート・フロムAのCMソング「カーキン音頭」が大ヒット、全国区に。観月ありさ、かとうれいこ、酒井法子が弟子入りし、あり丸、かと丸、のり丸を襲名したことも。その他、イラクやベトナム、北朝鮮など世界各地で公演を行うなど、話題を提供している。お宝収集家としても有名。

 

川畑泰史

NSC9期生。1991年、吉本新喜劇入り。ツッコミ役に回ることが多い。「ごはんがごはんがススムくん」に似ていることからいじられ、盛り上がってくると「焼きビーフンフーン」と発する。ケーキの袋を持って登場して「ケーキ買ったんですけど」と皆の期待を集めてから「おいしかったわぁ」と落とすというパターンもある。

 

カンニング

竹山隆範、中島忠幸のコンビ。サンミュージック所属。竹山は、福岡吉本で別コンビで活動後、解散し、上京。料理屋をやめた幼馴染の中島と再会し、1992年、コンビ結成。ワタナベエンターテイメント、フリーを経て、現在の事務所に。竹山がキレて、キレて、キレまくり、中島がたしなめる芸風を2000年頃からはじめ、人気に。「エンタの神様」「笑いの金メダル」などで人気に。

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