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BOOMER
伊勢浩二、河田貴一のコンビ。1989年にトリオ「AKIKO」を結成。1992年、解散し、二人でコンビ結成。ドタバタのコントを得意とする。「ボキャブラ天国」「志村けんはいかがでしょう」「お笑い新党」「ソリトン野望山馳参寺」などに出演。
ふかわりょう
1994年、渡辺プロのオーディションに合格し、芸能界入り。ピーターパンの服装での血マメ占いなどの怪しい芸風とキーボードを使った一言ネタで若者を中心に人気を得る。「カボスケ」「GAHAHA王国」「電波少年」「来来圏」「笑っていいとも」「恋するアミパラ」ドラマ「金田一少年の事件簿」などに出演。アドリブがきかないため、ダメキャラが定着。
藤井隆
藤田まこと
地方周りから北野劇場のコメディアンとなり、1962年に「てなもんや三度笠」で主役「あんかけの時次郎」を演じ、馬面の三枚目で全国的な人気者に。1973年の「必殺仕置人」がヒット。以後、三枚目からシリアスな役まで幅広くこなす役者として活躍。映画「日本の青春」「衝動殺人・息子よ」ドラマ「はぐれ刑事純情派」「剣客商売」などに出演。舞台でも活躍。
藤本義一
大学在学中から数々の小説賞を受賞。卒業後、宝塚映画に入社し、「駅前シリーズ」など多くのシナリオを執筆。1962年、放送作家として独立し、「法善寺横丁」などを執筆。「11PM」の司会者。「笑の会」主宰。1974年「鬼の詩」で直木賞受賞。著作に「生きいそぎの記」「元禄流行作家―わが西鶴」「殺られ」「白い血が流れる」「はぐれ刑事」「贋芸人抄」など。
藤山寛美
1934年、角座での「人斬供養」以来、松竹家庭劇などに子役で出演。戦争中は関東軍慰問隊で抑留される。戦後、渋谷天外の劇団すいーとほーむを経て、1948年、松竹新喜劇の旗揚げに参加。阿呆役の天才的演技で笑いをふりまいた。ドラマ「親バカ子バカ」などで有名に。「リクエスト狂言」などで劇団を人気劇団に仕立てあげた。娘は藤山直美。1990年、死去。
FUJIWARA
藤本敏史、原西孝幸のNSC8期生コンビ。1989年、結成。1991年、吉本印天然素材のメンバーになり、爆発的人気を得る。解散後は「天然劇場」のメンバーとして活動。大阪に戻り、後輩に混じって「すんげー!Best10」に出演、コントで人気を得る。「吉本超合金」で大阪で人気が爆発。baseよしもとの看板になる。関西で多数のテレビ番組に出演。
フットボールアワー
ブラザース
谷口聡、石割博之のNSC12期生コンビ。1994年、ともに前コンビを解散して、コンビ結成。1995年にユニット「フルーツ大統領」を結成。1998年に脱退、東京へ。勢いのある息のあった漫才で人気。紙芝居風の漫才など工夫を加えることも。「爆笑オンエアバトル」などに出演。
ブラックマヨネーズ
フラワーショウ
華ばら、華ゆりの歌謡漫才コンビ。ばらは1960年、西川サクラに入門。ゆりは華ぼたん門下で京山幸枝若の妹で東文章・華悦子で漫才デビュー。1961年、神戸松竹座にてぼたん、あやめ、ばらで
「フラワーショウ」結成。1966年、あやめが抜けてゆりが加入。1989年、フラワーショウばら・ゆりとして再出発。
フランキー堺
ドラマー、ボーカリストとして活躍。1953年、映画「青春ジャズ娘」に出演、役者に。「幕末太陽伝」ドラマ「私は貝になりたい」で高い評価を得る。「わが輩ははなばな氏」「山頭火」「赤かぶ検事奮戦記」などに出演、ワイドショーの司会者としても活躍。大阪芸大で演劇論の教授にもなる。1985年、小説「写楽道行」を執筆。1994年、私財を投じ映画「写楽」を完成。
プリティ長嶋
水道局に10年間勤め、1982年、「笑っていいとも」に出演、芸能界デビュー。長嶋茂雄や小林旭のものまねで人気を博す。「オレたちひょうきん族」「鶴ちゃんのプッツン5」などに出演。1992年、プロレス団体NOWの専属リングアナとなる。自転車好きで知られ、1998年から毎年事務所のある千葉県市川市から巨人のキャンプ地、宮崎まで自転車旅行をする。
プリンプリン
田中章、うな加藤のコンビ。田中は父親が横山ノックの相方、横山アウトでNSC6期生。1993年、結成。田中の甲高い声のボケとうなの力任せのツッコミで活躍。NHK教育番組「あいうえお」に出演、知名度を上げた。1996年より「ボキャブラ天国」に出演、認知度を上げる。「笑っていいとも」「生ダラ」などに出演。
フルーツ大統領
宝島軍団のおはよう、シンドバット、スキヤキ、ビリジアン、ブラザース、COWCOWの6組からなるユニット。NSC12期生。ダンスなどの共同の出し物にする「吉本印天然素材」の弟分で、東京でも10代の女性を中心に人気を誇り、「嵐MASSSE」などに出演。しかし天然素材の失速に合わせて、人気は急降下し、空中分解。その後、シンドバット、スキヤキ、ビリジアンは解散。
古川緑波
古川ロッパとも呼ばれる。早大一高院時代から映画批評を書き、ナヤマシ会に参加し、声帯摸写を発案して人気に。1935年、「笑の王国」の結成に参加。1960年、東宝で古川緑波一座をつくり、お笑いスターに。役者、プロデューサーとして「見世物王国」「王国博覧会」「唄えば天国」を手がける。老け役に転じて「ロッパと兵隊」など哀愁劇で活躍。1961年、死去。
ブロードキャスト
吉村憲二と房野史典のコンビ。名古屋学院大のサークル「放送文化研究会」で出会い、2000年にコンビ結成、初舞台デビューし、現役大学生コンビとして注目を集めた。吉本栄3丁目劇場で「PAALIVE」などに出演するかたわら、地元でテレビ、ラジオに多数のレギュラー番組を抱えるなど、名古屋吉本の注目株として活躍。NHK「爆笑オンエアバトル」などにも出演。
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