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パート2
原勝也と森健四郎のコンビ。松竹芸能タレント養成所を経て、1975年に真田実とトリオ「ヤングにっぽんず」を結成、活躍。1979年に真田実の俳優転向でコンビに。「お笑いスター誕生」に出場。1983年ごろから4コマ漫才を始め、話題になる。東京進出を目指すも事務所に止められ、その後はぱっとせず、2000年に一時廃業。その後、事務所を移って復帰。
ハイヒール
リンゴとモモコのNSC1期生コンビ。1982年、コンビ結成。知性派のリンゴにヤンキー上がりのモモコという好対照でどんな層にもウケる本格派の漫才で数々の賞を受賞。はけ方が振り付きで特徴的。「4時ですよ〜だ」などで地歩を固める。その後、関西を中心にテレビ、ラジオで売れっ子に。「あさパラ!」などレギュラー多数。個々でも活躍。
ハイヒールモモコ
漫才ではツッコミ担当。タレントとしてはボケ担当。ヤンキー上がりを前面に押し出し、庶民派として主婦層を中心に広く支持されている。1993年、番組の公開見合い企画で知り合った夫と結婚。子供を3人出産。出産をドキュメンタリーにした。家族ぐるみでテレビ出演することも多い。また、ひとりで全国ネットの番組に出演するなど活躍している。
ハイヒールリンゴ
漫才ではボケ担当。タレントとしてはツッコミ担当。京産大卒の知性派で、鋭い突っ込みと淀みない司会進行には定評がある。サラサラのストレートヘアが特徴的。魔女と呼ばれることも。美容と健康に熱心。格闘技好きとして知られ、大阪プロレスの番組も持つ。
パイレーツ
浅田好未と西本はるかの巨乳コンビ。1997年、結成。売れないアイドルをセットにしただけで、ネタは最低レベルだったが、一発ギャグ「だっちゅ〜の」が流行語大賞に輝く大ヒット。「黄金ボキャブラ天国」などで活躍するも、伸び悩む。結局、2001年に解散。西本は女優に転向、吉本興業へ。浅田も事務所を移り、宇恵さやかと新生パイレーツを結成。
博多淡海
祭でにわかを演じていた大工、木村平三郎がにわか師となり、一座を率いて巡業。1950年、志賀廼屋淡海から名を譲り受け、博多淡海となる。一座も淡海劇団となり、地元はもちろんのこと九州各地で人気を得た。息子は二代目淡海、孫は三代目淡海。1963年、死去。
博多淡海(二代目)
6歳で初舞台を踏み、23歳で父の跡を継ぎ、一座を率い巡業。1975年、松竹新喜劇に迎えられ、1976年から大阪・道頓堀の角座を本拠に松竹新喜楽座の座長として活躍。正調博多弁で笑いをふりまき、おばあさん役で人気を集めていたが、1980年、酒のため舞台稽古に穴を開け、同劇団を辞めさせられた。息子は三代目淡海。1981年、死去。
博多淡海(三代目)
二代目淡海の息子。淡海劇団から20歳の時、木村進として吉本新喜劇入り。甘いマスクで人気を得、異例のスピード出世で3年後には座長に。間寛平らと活躍。人情喜劇、お婆ちゃん役などで活躍。1987年、三代目淡海を襲名、記念公演後脳内出血で倒れる。後遺症の下半身マヒのリハビリの末、1990年博多温泉劇場公演で復帰。
博多華丸・大吉
バカリズム
升野英知、松下敏宏の日本映画学校出身コンビ。1995年、結成。コント主体で特にシュールなショートコントが秀逸。独特の雰囲気を持ったコンビ。升野はさんはふかわりょうの著書のイラストやmcSisterでの4コママンガ連載などマンガ家、イラストレーターとしても才能を発揮。「笑う子犬の生活」のメンバー。2005年11月末をもって、松下が脱退。升野がひとりで「バカリズム」として活動、R-1ぐらんぷり2006決勝進出。
萩本欽一
浅草東洋劇場で浅草新喜劇を結成。1966年、坂上二郎と「コント55号」 コンビ解消後は「欽どこ」「欽ドン」などの司会で視聴率100%男と呼ばれる売れっ子に。1985年に突然の休養宣言をし、レギュラー番組を降板、半年で復帰するもすぐに再降板。若手による劇団・欽劇を主宰し、舞台演出も手がけ、多くの若手を育成。映画「手」の監督を務めるなどマルチに活躍。
爆笑問題
間寛平
1970年、吉本興業入り。吉本新喜劇でアホに徹したキャラクターで人気者に。「ひらけ!チューリップ」などのヒット曲もある。「カイーノ」「アヘアヘ」などのギャグがウケ、全国区に。「ファンキー・モンキー・ティーチャー」でVシネマに初出演、完結編では監督も務めた。芸能界一のマラソンランナーでスパルタスロン、レイドゴロワーズにも挑戦。
波田陽区
はち好
1968年に春風亭柳好に入門。1976年、春風亭柳昇門下に移り、1983年に真打昇進で五代目春風亭柳條を襲名。1991年に落語芸術協会を脱退し、フリーに。1996年に「忠犬亭はち公」を経て、1999年に「はち好」に改名。2000年に突如、沖縄に移住し、落語教室「おきらく」を開講するなど沖縄に落語を根付かせる活動を続けている。
パックンマックン
パックン(パトリック・ハーラン)とマックン(吉田眞)のコンビ。パックンはハーバード大学比較宗教学部卒という経歴を持つ。1997年、コンビ結成。漫才では日本のおかしなところやアメリカとのギャップなど、外人であることを最大限利用したネタで笑いを取る。パックンはNHKラジオの英会話の講師も勤める。「ジャスト」「アッコにおまかせ」などに出演中。
×-GUN
西尾季隆、嵯峨根正裕のコンビ。1990年、結成。大阪写真専門学校音響芸術科で出会い、意気投合。漫才、コントをこなし、音楽を盛り込んだネタやライブが好評。西尾のおばちゃんキャラも持ち味。「ボキャブラ天国」で活躍。「ワンダフル」「マガ不思議」「GAHAHA王国」「GAHAHAキング」「お笑い向上委員会・笑わせろ!」などに出演。
バッファロー吾郎
はな寛太・いま寛大
松竹新喜劇の役者出身コンビ。1968年にコンビ結成。藤山寛美が名付け親。東京浅草の木馬館などで「ちょっと待ってね」のギャグで人気者に。1970年、夢路いとし・喜味こいしの勧めで大阪に戻り活躍。1977年にコンビを解消するが、1979年に復活。
花紀京
横山エンタツの次男。関西大入学後、花登筐に弟子入り。OSミュージックを経て、1959年、劇団「笑いの王国」の旗上げに参加。劇団解散後、1962年、吉本興業入り。吉本新喜劇の舞台で活躍。1963年に座長となり、新喜劇の基礎をつくる。「やりくりアパート」「スチャラカ社員」「てなもんや三度笠」などにも出演。1989年、吉本新喜劇を退団し、主に舞台で活躍。
ばってん荒川
肥後にわかのばってん劇団で老婆役で一躍人気者となる。1962年、浅草に進出し、以来、大阪の角座や東京の日劇などで舞台を踏む。1977年、東京に本格的に進出。「見ごろ食べごろ」に出演、「キャー、くたびれた」など得意の熊本弁で人気を獲得し、アイスクリーム「うまか棒」のCMで売れっ子に。
花登筐
喜劇作家、脚本家。ラジオの台本書きやOSミュージックホールの構成兼演出を経て、「番頭はんと丁稚どん」「とんま天狗」などの台本を担当、一躍売れっ子に。劇団「笑いの王国」を旗揚げ。その後は「細うで繁盛期」「どてらい男」などの商魂物ドラマを執筆。その他舞台の脚本を担当。生涯6000本以上の台本を執筆。女優、星由里子と結婚。1983年、死去。
ハナ肇
1956年、クレージーキャッツを結成し、リーダーに。「おとなの漫画」「シャボン玉ホリデー」で一世を風靡。「巨泉・前武ゲバゲバ90分」の中で「アッと驚く為五郎」といった流行語を生み出した。以後、俳優やタレントとして活動。映画「祭の準備」「人間の証明」ドラマ「ふりむくな鶴吉」「追いかけて幸せ」「金田一シリーズ」など。1993年、死去。
バナナマン
花菱アチャコ
1915年、役者から漫才師に転向、後に吉本興業入り。1941年、横山エンタツとコンビを組み、一世を風靡した。1934年、コンビ解消。1935年、アチャコ劇団を結成し、映画、劇団で人気に。劇団解散後、ドラマ「アチャコの青春手帖」「お父さんはお人好し」など舞台、映画、ラジオ、テレビと活躍。「ムチャクチャでござりまするがな」の流行語を生む。1974年、死去。
はなわ
パペットマペット
浜田雅功
林家いっ平
林家三平の二男。1989年、林家こん平に入門。1992年、二ツ目昇進。大学在学中に父の声を入れたCD「ジャングルハウススリーガス」をプロデュース。母、香葉子原作のアニメ「うしろの正面だあれ」の主題歌の作詞も手がける。1993年、ハッピーGOラッキーを結成、「ばっちグー」を発売。ドラマ「お部屋に帰ろう」や「ゲームEX」「情報バザール」などに出演。
林家木久蔵
清水崑のもとで漫画家修業を経て、1960年、桂三木助に入門。師匠が没し、林家正蔵一門に移る。1972年に真打昇進。古典、新作ともにアイデアを盛り込む。「笑点」「奥様八時半です」の司会などテレビ出演も多数。「全国ラーメン党」会長。木久蔵ラーメンチェーン店を経営。著書に「木久蔵のまんが古典落語」「なるほどザ・ラーメン」「私の下町五十景」など。
林家小染(四代目)
1964年、林家染丸に入門。1973年、桂文珍、桂きん枝、月亭八方と「ザ・パンダ」を結成、茶の間の人気を得た。古典落語でも相撲をテーマにした噺を得意とし、四代目染丸襲名の話も持ち上がっていた。酒好きで酒にまつわるトラブルが絶えず、最後も酒に酔ってトラックに撥ねられ、1984年、死去。
林家こん平
中学卒業と同時に上京、1958年、林家三平に入門。1972年、真打昇進。「宮戸川」「たいこ腹」などの古典のほか、漫談ネタも多く、芝居噺にも意欲的。「笑点」の大喜利メンバーがある。「チャンラ〜ン」「私のカバンにはまだ若干の余裕があります」でお馴染み。1998年、三遊亭小遊三とともに世界ベテラン卓球選手権に出場。
林家三平(三代目)
落語界のスーパースター。こぶ平、いっ平の父。1947年、父、林家正蔵に入門。父の死後は橘家円蔵について修業。「今日の演芸」で司会を務め、人気を得、二ツ目にしてスターに。1958年に真打昇進。「どうもスイマセン」のギャグが大ウケ。で1979年、脳出血で倒れたが、高座に復帰。しかし、1980年、死去。1995年に林家三平記念館「ねぎし三平堂」がオープン。
林家正蔵(七代目)
三平の父。天狗連と呼ばれるセミプロだったが、落語研究家の紹介で柳家三語楼に入門し、時代風俗を取り入れたギャグで個性を発揮する。1929年に柳家金語楼、春風亭柳橋らと芸術協会を結成、理事長となる。1930年、林家正蔵を襲名。古典落語の改作で人気を集め、「源平」「反対俥」などを得意とした。1949年、死去。
林家正蔵(九代目)
林家染丸(四代目)
1966年、三代目染丸に入門。三味線に長じ、芝居噺を得意とする。寄席囃子研究の第一人者で、著書に「寄席囃子研究」がある。1991年、四代目染丸を襲名。1993年、大阪府立東住吉高校に設立された全国初の芸能文化科で落語を教える。1994年、上方落語協会副会長に就任。1997年から京都造形芸術大学客員教授。
林家彦六
元八代目林家正蔵。人情噺や芝居噺の名手。1914年に三代目三遊亭円遊に入門。1920年に真打昇進。1950年に八代目林家正蔵を襲名。正蔵の名は七代目林家正蔵の遺族である海老名家から一代限りの約束で借りた名前だったが、七代目の長男、林家三平が亡くなったので、生きている間に正蔵の名前を海老名家に返す決心をし、1981年に「林家彦六」に改名。1982年、死去。
林家ペー
1964年、林家三平に入門。1970年、お笑いミュージシャンとして独立、「どっきりカメラ」「天才たけしの元気がでるテレビ」などに出演。1972年、兄弟弟子のパー子と結婚。以後、夫婦で出演することが多くなる。有名人の誕生日を覚えるのが趣味で、著書に「林家ペーの有名人おもしろビックリ誕生日の不思議」がある。芸能人の写真を取り捲ることでも有名。
原口あきまさ
アナウンス専門学校在学中にライブを企画、スカウトされてデビュー。明石家さんまを筆頭に石橋貴明、木梨憲武、今田耕司、極楽とんぼ加藤などが持ちネタ。1999年、「ものまねバトル大賞!」でコージー冨田とさんまとタモリをやり、人気が出る。その後タレントとしてテレビ「まねキン」「メレンゲの気持ち」「ろみひー」などに出演。ラジオでDJも務める。
原哲男
剣劇などを経て、コメディアンに転向して新世界の温泉劇場などに出演。1963年、吉本新喜劇入り。1969年、座長。カバの愛称でファンから親しまれる。1989年、やめよッカナキャンペーンで退団。「スチャラカ社員」「てなもんや三度笠」「てなもんやシリーズ」「ごろんば波止場」「花の駐在さん」「吉本コメディー」「新部長刑事」などに出演。
ハリガネロック
ユウキロック(松口祐樹)と大上邦博の1995年結成のNSC11期生コンビ。松口は元「松口VS小林」で大上は元「あっぱれ団」 松口の毒舌と大上のソフトなツッコミ、ユニゾンツッコミで漫才賞を多数受賞。関西を中心に活躍。M-1グランプリ2001準優勝。2002年、東京進出。「爆笑オンエアバトル」などに出演。「目ぇ離れてましたぁ」「レロレロ」などのギャグがある。
春一番
会社勤務を経て、1985年、片岡鶴太郎の付き人となる。1988年、春一番の名でタレントデビュー。アントニオ猪木のものまねで人気を得る。「ビートたけしのお笑いウルトラクイズ」「リングの魂」ラジオ「春一番のどけーいきょーん」舞台「闘魂伝笑」などがある。
晴乃ピーチク・パーチク
1953年、直井オサムと大沢ミツルでコンビを組み、デビュー。1961年に「晴乃ピーチク・パーチク」と改名して、人気に。1971年にコンビ解消。ピーチクは似顔絵漫談を始め、高座の活動を続けながらドラマや浅草軽演にも出演。
晴乃チック・タック
1960年、コンビ結成。1966年、NHK漫才コンクールで優勝。「いいじゃなーい」「どったの?」のセリフと持ち前の明るさで人気者に。「カラー寄席」「お笑い娯楽館」にレギュラー出演、お笑いタレントの先駆けとなる。1969年、コンビ解消。チックは師匠の晴乃ピーチクや弟子とのコンビで漫才を続けた。タックは高松しげおと改名、映画、ドラマに出演。
春やすこ・けいこ
1976年、コンビを結成。1980年、漫才ブームで芸能人イビリの漫才で人気を獲得。以後歌にドラマに舞台にと活動。映画「ビーバップ・ハイスクール5」「極道の妻たち」、舞台「たかが結婚されど結婚」、テレビ「春よ、来い」「鬼平犯科帳」など。コンビは解消していないが別々に活動。けいこはリポーターや女優として活躍。
ハローケイスケ
ハローバイバイ
金成公信と関暁夫の東京NSC2期生コンビ。1996年、結成。丸顔におかっぱ頭、どんぐり眼のキュートな外見とは裏腹の毒舌が売りの関、人のよさそうな笑顔で183センチの長身から繰り出す強烈なツッコミと一発ギャグが売りの金成。毒のある漫才、コントで人気。「爆笑オンエアバトル」「新しい波8」などに出演。
伴淳三郎
浅草で劇団を渡り歩いた後、1927年から映画にも出演。浅草を本拠に一座の結成、解散を繰り返したが、1951年、流行語「アジャパー」と独特の山形弁で一躍スターに。「伴淳」と呼ばれた。伝七捕物帖」シリーズ「二等兵物語」シリーズ「糞尿譚」「気違い部落」「駅前」シリーズ、テレビ「ムー一族」「熱中時代」などに出演。「あゆみの箱」を主宰。1981年、死去。
バンチャーズ
Mr.オクレ、花紀京、坂田利夫、山田スミコらが所属していたコミックバンド。ほかのメンバーに比べて、ベーシストのMr.オクレがワンテンポ遅れるのが代表的ギャグ。「Mr.オクレ」の芸名も遅れるところからきている。
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