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植木 等
烏川 耕一
NSC11期生。1992年、吉本新喜劇に入団。巨漢。口がとがっていることから、普通にしているのに口笛を吹いていると注意されるいじられキャラ。また、「ひょっとこーひー」などひょっとこを連発されるというパターンも持つ。ヤクザ役から店員役まで幅広く役をこなす。
ウガンダ・トラ
1977年に「いそがしバンド」を結成、後に「ビジーフォー」に改名。ドラムスを担当し、太った体型でコミカルな動きをする芸で笑わせていたが、人気が低迷し、バンド解散となる。その後はデブタレントとして活躍。「カレーは飲み物」という名言を残す。ラッシャー板前は義弟に当たる。
内場 勝則
吉本新喜劇の座長。2枚目から3枚目まで、ボケからツッコミまで器用にこなすことからスーパー座長と呼ばれる。NSC1期生。新喜劇に入り、岡八郎、花紀京らとも共演する。1995年にはニューリーダー、1999年には座長に。「総本家内場勝則」と銘打っての一人芝居、NHK朝の連ドラ「あすか」へのに出演など幅広く活動。未知やすえと結婚、一児をもうける。
内村 光良
ウッチャンナンチャン
内海桂子・好江
1950年、コンビ結成。東京では珍しい女性同士の漫才コンビ。江戸っ子らしい本格的なしゃべくりに、三味線を弾きながらの小唄、都々逸などを織り交ぜる。東京漫才としては初めての紫綬褒章を授与された。1997年、内海好江が死去。内海桂子は漫才協団会長に就任、「日本映画学校」などで後進の指導をする傍ら、ドラマや情報番組のコメンテーターとして活躍。
海原お浜・小浜
大阪の女性ベテラン漫才師。お浜は小浜の叔母。小浜は海原かけるの母で海原やすよ・ともこの祖母。1933年にコンビ結成。きびきびとした語り口でのしゃべくり漫才で定評があった。しかし、1976年にお浜の白内障が悪化し、引退し、解散。小浜はラジオのDJやテレビのコメンテーターなどで活躍。1994年にお浜が死去。
海原千里・万里
姉妹漫才コンビ。幼少よりラジオ、テレビの素人コンクールに出演。1971年、海原お浜・小浜に弟子入り、デビュー。歌唱力を生かして、アイドル歌手をネタに歌を織り交ぜた漫才で人気を得た。「大阪ラプソディー」などで歌手としても活躍。千里の結婚を機に1977年、コンビ解散。千里は本名の上沼恵美子で芸能界に復帰。
海原はるか・かなた
海原お浜・小浜に弟子入り。1970年、大阪のコマモダン寄席でデビュー。正統派しゃべくり漫才として、広い層に人気がある。CMに起用されたことにより、バーコードハゲを息で吹き飛ばすネタが注目され、人気が出る。
海原さおり・しおり
海原小浜の弟子。1977年「美空ひばり特別公演」でデビュー。1978年、コンビ結成。「お笑いスター誕生」などで活躍。「2時のワイドショー」などにも出演していた。「お笑いスター誕生」の出演がきっかけでさおりが大木こだまと結婚した。現在も漫才、舞台で活躍しており、1998年にはコンビ結成20周年記念リサイタルを開催した。
海原やすよ ともこ
祖母、海原小浜も父、海原かけるも漫才師という漫才界のサラブレット姉妹コンビ。1992年、中田ボタンに入門、コンビを結成。家族のことや日常の出来事をネタに姉妹同士の息の合ったやりとりで笑いを作り出していく。姉のともこが突っ走り、やすよがクールにツッコむ。賞を多数受賞している実力派女流コンビ。バラエティ番組にも出演。
梅垣 義明
WAHAHA本舗の中心的存在。劇団公演のほか、女性シャンソン歌手に扮し、越路吹雪のヒット曲「ろくでなし」を歌いながら、鼻に詰めた豆を客席に向かって飛ばすという芸でバラエティ番組などに出演することも。尻にバラの花束を挟んで、「百万本のバラ」を歌いながら、バラを1本ずつ客席に投げるという芸もある。「はみだし刑事」では刑事役を好演している。
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